まるで食材の出荷である
実は婚活らしきものは25歳の頃からちょくちょくやっていました。
パーティーに顔を出したりお見合いサイトに登録してみたり。
メディアやネットでの主張に共感しながら始めたことですが、思い返すとそんなこと後でもよかったのに、というのが辛うじてアラサーの感想。
若いと確かにモテます。パーティーでは若いというだけで何の取り柄もない私に列ができました。
スペック的に高い人もたくさんいました。
ただ断言すると、そこで列をなしている男性が魅力的に映ることは一度もなかったです。
「ああ、この人たちは若ければいいんだな」
「若い嫁さんを貰って自分の人生を肯定したいんだろうな」
そう冷めた目で見てしまっていました。
新鮮なほどよく売れるのは野菜や魚なんかの食材となんら変わりない。自分は出荷されるなまものと一緒だという感覚でした。
確かに、子供を考えるなら若い方がいい、恋愛をするなら若い方がいいと考える気持ちも分からなくもないです。
就職でも新卒カードが一番最強なのは日本の社会でなかなか変わらない事実です。
けど、仕事なら経験がいきるように、結婚なんてまさに信頼できるパートナーであることが重要なイベントで、若さが大事!若いうちからやりましょう!結婚しないと後悔しますよ!的な空気は本当に疑問です。
女はいいよね、選ぶだけで、という恨みつらみもあるでしょうけど、今後人生30年連れそうだろう相手、若さを武器に釣って、しかも確実に衰える釣り針、生け簀に放り投げたところで若さを食べて生きる生き物に与えられる餌は確実になくなっていくのです。不安にならない方がおかしいと思う。
最近の日本の結婚事業プッシュは少し宗教じみているとすら感じます。
「結婚は幸せよ」「なぜ結婚しないの?」「妥協すれば誰でも結婚できるのよ」「若いうちから計画的に始めましょう」「結婚しないとおかしい」「結婚できない人はかわいそう」
豊かに生きるためのひとつの選択肢、いつ選択するか、誰を選ぶかはそれぞれタイミングがある。
人間は食品ではない、と信じている。
結婚は宗教ではない、とも思っている。
何を選び、優先し、積み上げていくか、そうして形成したものを共有していける相手を選びたいと思うのは、むしろずっと私たちが望んできたかたちだと思う。